映
2009年05月19日
【映】
エイ、エイズル
うつす、はえる
1 姿・形・影などが、反射や投影によって、他の物の上に現れる。
2 色や物の配合がよく、つりあいがとれている。また、付属的なものが本体と調和する。
3 人の目にある印象を与える。映ずる。
4 光を受けて照り輝く。
5 引き立ってあざやかに見える。また、よく調和する。
6 りっぱに見える。目立つ。

光の色はもう初夏のそれです。
強い西日を、艶のある金属の表面があたりにばら撒きます。
床に敷き詰められた大理石も含めて、全ての物体は様々な面質の「鏡」なんだなあ、と
あらためて感じます。

鏡というのは面白いもので、左から来た光は反射して右に抜け、右から入ってくる光は左に弾かれていきます。
左右が反転して見える訳ですよね。
人間の目は左右に付いているからそういう風に見えるとも思うのですが、片目を瞑ってみてもやはり左右は反転して見えます。
目の視細胞の構造は左右上下にほぼ均等だと思われますので、これはちょっと不思議な気がします。
やはり重力場の中で生きている私たちの感覚が混乱しないように、脳内の視覚信号の処理ロジックがそうなっているのかも知れません。

私たちが見ている「モノ」も、その実体を見ているように思えて、実はその表面に映り込んだ「光」を見ているだけだとも言えます。
ただ鏡のような「全反射」の面質もあれば、カーペットのようにその表面の糸の繊維が「乱反射」を繰り返して均一に見える場合もあるんですよね。

ガラスなどは事情がもっと複雑で、「反射」だけではなく光は「透過」「屈折」します。
後ろに「透過」する光、表面で「反射」する光、そして「吸収」される光、それらが様々に混じり合い、私たちの目に立体感を伴って結像します。

日は西に沈んでいきます。
光は曲がり、吸い込まれ、透き通り、跳ね返り、私たちの目に「映る」わけです。
その実体は、捉えようとしても洋として捉えられない、幻のようなものなのかも知れません。
様々な光の乱舞が見られるガーデンヒルズ岡崎の実体には、
http://i-wedding.jp/okazaki/
で出会えます。
エイ、エイズル
うつす、はえる
1 姿・形・影などが、反射や投影によって、他の物の上に現れる。
2 色や物の配合がよく、つりあいがとれている。また、付属的なものが本体と調和する。
3 人の目にある印象を与える。映ずる。
4 光を受けて照り輝く。
5 引き立ってあざやかに見える。また、よく調和する。
6 りっぱに見える。目立つ。

光の色はもう初夏のそれです。
強い西日を、艶のある金属の表面があたりにばら撒きます。
床に敷き詰められた大理石も含めて、全ての物体は様々な面質の「鏡」なんだなあ、と
あらためて感じます。

鏡というのは面白いもので、左から来た光は反射して右に抜け、右から入ってくる光は左に弾かれていきます。
左右が反転して見える訳ですよね。
人間の目は左右に付いているからそういう風に見えるとも思うのですが、片目を瞑ってみてもやはり左右は反転して見えます。
目の視細胞の構造は左右上下にほぼ均等だと思われますので、これはちょっと不思議な気がします。
やはり重力場の中で生きている私たちの感覚が混乱しないように、脳内の視覚信号の処理ロジックがそうなっているのかも知れません。

私たちが見ている「モノ」も、その実体を見ているように思えて、実はその表面に映り込んだ「光」を見ているだけだとも言えます。
ただ鏡のような「全反射」の面質もあれば、カーペットのようにその表面の糸の繊維が「乱反射」を繰り返して均一に見える場合もあるんですよね。

ガラスなどは事情がもっと複雑で、「反射」だけではなく光は「透過」「屈折」します。
後ろに「透過」する光、表面で「反射」する光、そして「吸収」される光、それらが様々に混じり合い、私たちの目に立体感を伴って結像します。

日は西に沈んでいきます。
光は曲がり、吸い込まれ、透き通り、跳ね返り、私たちの目に「映る」わけです。
その実体は、捉えようとしても洋として捉えられない、幻のようなものなのかも知れません。
様々な光の乱舞が見られるガーデンヒルズ岡崎の実体には、
http://i-wedding.jp/okazaki/
で出会えます。
出雲大社
2009年05月01日
「出雲大社」と書いて、普通は「いずもたいしゃ」と読むと思うのですが、正式には
「いずものおおやしろ」と読みます。
当社「出雲殿」の名の由来でもあり、その頭文字を採って「i」Weddingの元にもなっている、あの島根県のお社です。

全国の神無月(10月)には全国から八百万の神がお集まりして、出雲の国では「神在月」としての神議が行われると言われています。
また、縁結びの神としても他を圧倒する御利益があるとも言われ、当社のシンボル的存在として社名にも取り入れたという歴史を持っています。
ここに祀られている主祭神は「大国主命(オオクニヌシノミコト)」です。大国主命は若い頃の名を「大己貴命(オホナムチ)」とも「大汝命(オホナムチ)」とも言われていたようです。
さて、この出雲大社には興味深い伝承がいくつか残っています。
その一番のものは、太古の出雲大社のスケール、つまりその本殿の大きさに関するものです。
延享元年(1744年)に作られた現在の本殿は高さは8丈(およそ24m)で、写真でも分かるようにかなりの大きさなのですが、実はこの本殿、中古には高さなんと16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられています。
そんな大昔に高さ50m近い木造建築などあり得ないし、ましてや100mに届くようなものなど妄想の産物だ、という意見もあるにはあるのですが、どうやらこれは本当のことだった可能性が高まっています。
まず、平安時代に源為憲によって作られた「口遊」という数え歌に「雲太、和二、京三」という一節があります。これは「うんた、わに、きょうさん」と読むのですが、これは「出雲太郎、大和次郎、京三郎」の略であるとされています。その意味するところが何かといいますと、「出雲大社が1番、2番目が東大寺大仏殿、三番目が平安京御所大極殿」という意味なんですね。
これはその建物の高さの順を表わしたもので、2番目の「当時の」東大寺の大仏殿が高さ15丈(45m)であったことを考えれば、少なくとも平安時代には高さ48m、15階建てのビルのような本殿が聳えていたことになるのです。
また、みかど(天皇)の住まいよりも、当時の仏教の粋を集めた巨大建築物である東大寺の大伽藍よりも大きな(高さとして)木造建築だった訳で、逆に言えば東大寺の大仏殿も御所の大極殿もその建築にあたっては出雲大社の高さを「超えてはならなかった」という暗黙のルールがあったということになります。
その謎については、井沢元彦氏の「逆説の日本史」に詳しいのでここで述べることはしませんが、とても興味深い歴史がこの出雲大社には眠っているのがお分かりになると思います。
当社では「株式会社出雲殿」という法人を名乗るにあたり、この出雲大社からの御霊分け(みたまわけ)を頂いております。

これは今を去ること25年ほど前、当社に所属する神官の代表若干名が出雲大社に赴き、その拝殿の中で分霊式を受けているところの写真です。
ご存知のようにこの拝殿にも誰でも簡単に入れるという訳ではなく、たいへん貴重な光景だと言えます。

ここで頂いた「御霊(みたま)」はIZUMODENグループの神殿に祀られ、今までにも数多くの幸せなカップルのご成婚をお祝い続けています。
言わば「出雲大社○○支店」というような位置付けになる訳で、その御利益の大きさが理解して頂けるものと思います。
出雲大社の祭祀者である出雲国造家が、我が国においては天皇家に次ぐ格式を持っていることも特筆すべきことと言えましょう。
そして、この出雲大社の古代の姿を復元しようという試みも成されているようです。
平成12年(2000)には夥しい石が埋まった一角が発見され、続いてその中に柱が3本組で発見されたことが話題になりました。
その3本一組の心御柱はその直径がなんと3mもあったことも確認され、現存している当時の指図(設計図面)などとの一致もあり、高さ48丈の大神殿の現実性は多いに高まってきました。

これは大林組が完成させたCGによる古代の出雲大社の復元想像図です。
古代のロマンが詰まった出雲大社、その本殿内部の主祭神の配置とともに、これから解き明かされる謎はまだまだあるようです。

iWeddingグループの各式場では、出雲の国の言い伝えを継承する神官による結婚式を執り行うことが出来ます。
日本人の心を再認識する、良い機会かも知れません。

iWeddingグループの各式場の神殿ついては、iWeddingサイトのそれぞれの施設をご覧ください。
http://i-wedding.jp/index.html
「いずものおおやしろ」と読みます。
当社「出雲殿」の名の由来でもあり、その頭文字を採って「i」Weddingの元にもなっている、あの島根県のお社です。

全国の神無月(10月)には全国から八百万の神がお集まりして、出雲の国では「神在月」としての神議が行われると言われています。
また、縁結びの神としても他を圧倒する御利益があるとも言われ、当社のシンボル的存在として社名にも取り入れたという歴史を持っています。
ここに祀られている主祭神は「大国主命(オオクニヌシノミコト)」です。大国主命は若い頃の名を「大己貴命(オホナムチ)」とも「大汝命(オホナムチ)」とも言われていたようです。
さて、この出雲大社には興味深い伝承がいくつか残っています。
その一番のものは、太古の出雲大社のスケール、つまりその本殿の大きさに関するものです。
延享元年(1744年)に作られた現在の本殿は高さは8丈(およそ24m)で、写真でも分かるようにかなりの大きさなのですが、実はこの本殿、中古には高さなんと16丈(48m)、上古には32丈(およそ96m)であったと伝えられています。
そんな大昔に高さ50m近い木造建築などあり得ないし、ましてや100mに届くようなものなど妄想の産物だ、という意見もあるにはあるのですが、どうやらこれは本当のことだった可能性が高まっています。
まず、平安時代に源為憲によって作られた「口遊」という数え歌に「雲太、和二、京三」という一節があります。これは「うんた、わに、きょうさん」と読むのですが、これは「出雲太郎、大和次郎、京三郎」の略であるとされています。その意味するところが何かといいますと、「出雲大社が1番、2番目が東大寺大仏殿、三番目が平安京御所大極殿」という意味なんですね。
これはその建物の高さの順を表わしたもので、2番目の「当時の」東大寺の大仏殿が高さ15丈(45m)であったことを考えれば、少なくとも平安時代には高さ48m、15階建てのビルのような本殿が聳えていたことになるのです。
また、みかど(天皇)の住まいよりも、当時の仏教の粋を集めた巨大建築物である東大寺の大伽藍よりも大きな(高さとして)木造建築だった訳で、逆に言えば東大寺の大仏殿も御所の大極殿もその建築にあたっては出雲大社の高さを「超えてはならなかった」という暗黙のルールがあったということになります。
その謎については、井沢元彦氏の「逆説の日本史」に詳しいのでここで述べることはしませんが、とても興味深い歴史がこの出雲大社には眠っているのがお分かりになると思います。
当社では「株式会社出雲殿」という法人を名乗るにあたり、この出雲大社からの御霊分け(みたまわけ)を頂いております。

これは今を去ること25年ほど前、当社に所属する神官の代表若干名が出雲大社に赴き、その拝殿の中で分霊式を受けているところの写真です。
ご存知のようにこの拝殿にも誰でも簡単に入れるという訳ではなく、たいへん貴重な光景だと言えます。

ここで頂いた「御霊(みたま)」はIZUMODENグループの神殿に祀られ、今までにも数多くの幸せなカップルのご成婚をお祝い続けています。
言わば「出雲大社○○支店」というような位置付けになる訳で、その御利益の大きさが理解して頂けるものと思います。
出雲大社の祭祀者である出雲国造家が、我が国においては天皇家に次ぐ格式を持っていることも特筆すべきことと言えましょう。
そして、この出雲大社の古代の姿を復元しようという試みも成されているようです。
平成12年(2000)には夥しい石が埋まった一角が発見され、続いてその中に柱が3本組で発見されたことが話題になりました。
その3本一組の心御柱はその直径がなんと3mもあったことも確認され、現存している当時の指図(設計図面)などとの一致もあり、高さ48丈の大神殿の現実性は多いに高まってきました。

これは大林組が完成させたCGによる古代の出雲大社の復元想像図です。
古代のロマンが詰まった出雲大社、その本殿内部の主祭神の配置とともに、これから解き明かされる謎はまだまだあるようです。

iWeddingグループの各式場では、出雲の国の言い伝えを継承する神官による結婚式を執り行うことが出来ます。
日本人の心を再認識する、良い機会かも知れません。

iWeddingグループの各式場の神殿ついては、iWeddingサイトのそれぞれの施設をご覧ください。
http://i-wedding.jp/index.html